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一般の方へ

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渡瀬彩華さん (京都)の体験談

はじめまして

1. 天文学とは

京都で大学院に通い、天文学を勉強しています。天文学というと「星座に詳しい」「将来は宇宙飛行士に?」などと思われがちですが実際は違います。何が違うかというと、天文学は物理学の応用であるという点です。(宇宙に対するアプローチ法が違うということです。)
天文学を研究する人たちは、ひたすら数式と向き合い、過去あるいは未来を計算で導く「理論屋」とロケットや望遠鏡、それらに付随する観測装置を作り観測によって宇宙に対する理解を深めていく、「観測屋」の2分野に大きく分かれます。私は「観測屋」で、地上望遠鏡に取り付ける赤外線観測装置の開発をしています。ちなみに星座については人並みの知識しか持ちませんが、小学校4年の時の夢は宇宙飛行士、小学校の卒業文集には天文学者と書きました。13年経った今、天文学者に一番近いところで研究を進める状況にあることは、ある意味夢が叶っていると言えるかもしれません。

2. ASの診断

椎間板ヘルニアと診断されたのは14歳のときでした。今思えば、その時すでにASだったのですが、地元・静岡の町医者から下された診断がその後5年に渡って意味のある不要な混乱を招いたのは間違いありません。
学校は自宅から徒歩7分のはずが、股関節の痛みのせいで15分以上かかる日もありました。普通の生活で疲労が蓄積したのか、授業中も寝てしまい周囲から誤解されることもありました。
大学へ入学し、一人暮らしが始まってからも調子の良し悪しが日ごとに変化します。大好きな遊園地へ行く前日は祈るような気持ちでストレッチをしました。19歳、突然眼病にかかり京都府立医科大学眼科にかかります。そこで診断されたのがぶどう膜炎でした。眼球注射というなかなか貴重な体験をして無事完治しましたが、その数か月後、私は全く別の痛みで同医科大学を訪れることになります。
ある夜、股関節の痛みで目を覚まします。痛みで泣き叫びながら起き、痛み止めを飲んで寝て、薬が切れたころにまた痛みで起きる…を繰り返しました。同医科大学整形外科で診察、やっと強直性脊椎炎とわかったのです。アザルフィジン、リウマトレックスを処方されましたがあまり効きませんでした。しかし、21歳の夏、ヒュミラ治療を始めたところ、劇的な回復を見せ、23歳の今ではほとんど日常生活への影響はありません。
AS友の会の総会へ初めて参加したのはヒュミラ治療を始めて数ヶ月後の21歳の秋でした。ある方と、SNS(インターネット)で知り合い、お誘いいただいたのがきっかけです。自分と同じ経験をしてきた人と会えたことや、今まで知らなかったASの知識が得られたことは大きな財産です。

3. 南天へ

22歳、院試浪人中に転機が巡ってきます。開発している赤外線観測装置が大学の望遠鏡(口径1.3m)からチリにある望遠鏡(口径3.56m)へ移設することが決まったのです、浪人を半年で終わらせ(大学院に合格)、得意の機械設計で装置開発に関わるようになります。チリの望遠鏡に取り付けるためにはさまざまなものを作る必要がありました。約1年半という期間で私が設計したものは大小合わせて6機構あります。細かい話は割愛しますが、右の写真はそのうちひとつの遮光機構です。実際うまく駆動するのですが、重たかったり取り付けにくかったりと問題もありました。不満足こそが成長には必要不可欠であり、次に必ず生きてくると思うので、これもまた良い経験となりました。

4. 私の考えと今後

ASになったことは決して喜ばしいことではないと思います。でも、ASでなければ、歩けることの幸せや内部障害者への気配りには気づけずにいたと思います。現実から目を逸らさないで受け止めること、どんな状況でも道は必ず見つかる事を学びました。そうして自分を信じた結果、大学院生ながら最先端の天文学を高レベルの環境で学ぶことができているのだと思います。
最後に、未来の話をします。私は機械設計を続けたいと思います。(研究室の指導教官から、夢は200人に話すと叶う、と聞いたのでここで稼ぎたいと思います。笑)大きな目標は二つあります。ひとつは、大好きなジェットコースターを自分の手で作ることです。もうひとつは、病気の子供でも楽しめる遊園地を作ることです。これからもたくさん吸収して、目標を達成するつもりです。
今回は自己紹介代わりにASの診断までと私の研究分野について簡易的に説明しました。また投稿させていただく機会があれば次は研究についてより詳しい説明ができると思います。では、どこかでお会いできるのを楽しみにしております。

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